「ご縁」信者はだいたいポンコツ

「ご縁に感謝」
「出会いに感謝」
よくSNSで目にしますよね。
実際、ご縁というのはあります。
人と人なんて「縁」で繋がっていくものですから。
モンテキーヨだって、多くの人のご縁の繋がりで今があり、そして未来を創っていきます。
ここでいう「ご縁信者」ってのは
出会ってすぐに「ご縁に感謝」って言っちゃったり、SNSでタグ付けして発信しちゃう人の事を指します。
今回はそんな「ご縁に感謝教」とその「信者」が何故ダメか。について解説してみたいと思います。
a,出会った瞬間、それはまだ「ご縁」ではない。
人と人とが出会い、そして知人から友人、更にパートナーに成長していく。

出会ってから、お互いを深く知るには結構な工数がかかるものです。
ビジネスであれ、プライベートであれお互いの関係性が⑥の段階まで来る。
この段階まで関係性が進むと、もう「感謝」なんてものは自然に発生しているわけで。
むしろここで相手の存在に「感謝」を感じる事のできない人間はここまで双方の関係性は深くならない。
相手と何かを「クリエイト」した時。
そしてその喜びが共有出来た時。
自然と相手に対して「ありがとう」ってキモチが産まれた時。
その時に初めて「ご縁」と「ご縁」が「有機的」に繋がるのです。
それは仕事を一緒にする事でもいいし、お茶を繰り返すだけでもいい。
なんでもいいんです。
(これは何もリアルに限ったことではなく、WEB上でも実現可能)
ここまで関係性が成長し、成熟して初めて「ご縁」であり、感謝すべき価値を初めて帯びるのです。
相手の事をよく知りもしない。
そして先方もこちらの事をまだ理解していない。
そんな段階で「ご縁に感謝」とか言っちゃう人。たくさんいます。
ちなみにGoogleで「ご縁に感謝」と検索してみると

あいだみつお感全開の写真がいっぱい出てきます。それだけ皆さん「ご縁」を渇望しているのでしょうか。
まだ相互理解が未熟なのに、勝手にポジティブ変換しちゃう。
ポジ:ポジ属性の究極進化系が「ご縁に感謝原理主義者」です。
b,根拠なき期待と無責任
では何故出会ってすぐに「感謝」してしまうのでしょうか。
プライベートで出会った人から「ご縁に感謝ですね」って言われた経験、あんまりないですよね。
多くはオフィシャルの場で、名刺交換とかして、ちょっと仕事の話をした人たちから言われませんか?
これからの話や、未来の話は確かにテンションあがりますが、同時にそれはお互いにそれをやるんだ!という「確固たる覚悟」の上でないと現実にはならない。
そしてその「確固たる覚悟」を固めるためにはお互いに何かしらの共同作業をしないと、具現化しない。
だから根拠のない希望的観測の話はソコソコで終わらせとかないといけないし、そこはお互いにオトナのマナーで理解しようよ。って思うのですが。
そんな当たり前の事がわからず、任せてしまえば何かしら上手くいくんじゃないだろうか。この人は自分の事をわかってくれているんではないだろうか?という、自分の中にある根拠なき期待と無責任さ。
ゼロロジカルなこれらの行為をものすごくポジティブに誤変換してくれるのが
「ご縁に感謝」って言葉なんですね。
「ご縁に感謝」と言っておけば聞こえがいいし、相手も巻き込む事ができる。
だれだって「感謝」されて悪いキモチにはなりません。
だけど、だけどです。
お互いの事をよく知りもしないのに、期待して、感謝して。
そして思っていた結果とちがう結果が出た時。
その「感謝」はどこにいけばよいのだ。 そしてお前の言っていた「ご縁」とは何だったのか。
「感謝」「ありがとう」本当に素晴らしい言葉です。
でも所詮言葉は言葉。
それを実現する為の具体的なプランとアクションがあってこそ初めてその言葉の持つ本当の意味を表すのではないでしょうか。
何度も言いますが
「ご縁」は確実に存在します。
それを価値あるもの(感謝)にするのか、ポンコツにするのか。
それは自分の考え方と行動次第です。
間違ったポジティブシンキング、それじゃいつまでたっても結果なんてでません。
みなさん、ご縁に感謝教の信者になっていませんか?