

モンテキーヨの5期目突入。の前日
実は明日でモンテキーヨは4周年。来週より5期目に入ります。 当初はWEBコンサルティングオンリーで始まった当社ですが、現在ではデザイン事業と教育事業が売上の中心となってきています。 今モンテキーヨが最も力をいれているのがZOKKONという男女間コミュニケーションへの教育事業ですが、巷に溢れる結婚相談所や恋愛スクールではありません。 従来の対面型の恋愛プログラムではなく、我々がシェア型と呼んでいる、食育や、地域創生プロジェクトと恋愛プログラムを融合させることによる有機的な人間の交流。これがZOKKONの真髄です。 その理念に共感してくれるパートナーがたくさん現れて、ここ数日は熱いMTGが続いています。 ZOKKONの共同運営者、NMラボの代表取締役、西田くん 有機野菜の素晴らしさを多くの方に伝えているケイフィールズの木下社長 日本酒と食のマリアージュ なにわの台所いたちの平山オーナー 3つの事業体でのMTG ここで大切なのは それぞれのお客様にとっても、それぞれの事業にとっても「プラス」である事 決してボランティアではない【事業】としての関わり合い

「ご縁」信者はだいたいポンコツ
「ご縁に感謝」 「出会いに感謝」 よくSNSで目にしますよね。 実際、ご縁というのはあります。 人と人なんて「縁」で繋がっていくものですから。 モンテキーヨだって、多くの人のご縁の繋がりで今があり、そして未来を創っていきます。 ここでいう「ご縁信者」ってのは 出会ってすぐに「ご縁に感謝」って言っちゃったり、SNSでタグ付けして発信しちゃう人の事を指します。 今回はそんな「ご縁に感謝教」とその「信者」が何故ダメか。について解説してみたいと思います。 a,出会った瞬間、それはまだ「ご縁」ではない。 人と人とが出会い、そして知人から友人、更にパートナーに成長していく。 出会ってから、お互いを深く知るには結構な工数がかかるものです。 ビジネスであれ、プライベートであれお互いの関係性が⑥の段階まで来る。 この段階まで関係性が進むと、もう「感謝」なんてものは自然に発生しているわけで。 むしろここで相手の存在に「感謝」を感じる事のできない人間はここまで双方の関係性は深くならない。 相手と何かを「クリエイト」した時。 そしてその喜びが共有出来た時。 自然と相手に

ママそらさんに取材を受けました
代表の佐々木です。 モンテキーヨでは恋愛や結婚支援のサービスをおこなっていますが ZOKKON https://www.zokkon.biz/ 【婚活】っていう言葉に正直、違和感を感じているのも事実です。 結婚はゴールではありません。あくまでも二人の関係性のひとつの形である その前、そしてその後。 命ある限り永遠に続いてくものだと思うんですね。 中には子供を授かるご夫婦もいらっしゃり。 うちもおかげさまでひとりの小さな子どもがいます。 共働きですので、僕が子供の面倒をみる事も多いのですが そんな話をしていたらママそら関西さんに取材を頂きました。 ちょっと照れくさい内容になってますが 嘘は一切ありません。 よかったら読んでみてください。

根拠なき期待で自滅する人々
生きていると色んな人に出会いますよね。 でね、そんな時に皆さん相手の事をどんな風に見てますか? 相手の事をよく知りもしないのに、勝手にポジティブにその人の事を見ていませんか? 図式化するとこんな感じ 両目でポジティブ。 もう全力でポジティブ。 相手の事をよく知りもしないのに、勝手に自分都合でポジティブにその人の事を捉えちゃう。 そんな人がよく言うのが 「今日、すごい人に出会って」 とか 「これからはあの人に頼めば大丈夫だ」 とか言っちゃうわけなんですが。 そもそも、ホンマにその人があなたのチカラになれるか(もしくはなってくれるのか)なんてそのタイミングでは判断つかんわけで。 期待された方は何も変わらずに日常を過ごしていくわけですが、期待している側は「勝手に」自分に何かしてくれないかをずっと待っているわけです。 ポジ:ポジで初対面の人を判断する事で、実は知らない間にその人に勝手に期待してその瞬間に依存の構図が生まれてしまいますね。 若い頃に、異性の事をよく知らずに勝手に妄想膨らませて好きになっちゃった事ないですか?そして、深く相手を知って幻滅したり

思考停止について考察したら何故かAVに辿り着いた。
依存する対象ってのは何も「人」だけではなくって、それは「モノ」であったり、「薬物」であったり。後は「くせ」とか。 対象が人やモノだとはたから見ていてもわかりやすいので、依存している人がいても対応は簡単なんですね。 「やめなはれ」 このひと言で全て片付きます。 ややこしいのが「概念」に依存しちゃってるパターンです。 思想、文化、と言ってしまえば聞こえが良いのですが その概念の根本や本質がどこからくるのか理解もできていないのに 妄信的にそれを信じこんでしまう。 「運気をあげる〜の習慣」 「幸せになれる7つ方法」 「引き寄せの法則」 とかそんな感じの本、見たことありませんか? 「運気」とか「宿命」とかいうものは恐らくある。引き寄せ合う現象だって恐らくはある。 ただ、自分以外の誰かが発信している。 そんなテクニックで幸せになろうなんて考え方がクソッタレなんです。 自分自身のマニュアルは、自分自身で作っていくしか無いって事に、みんな気づいているのにサボるんですよね。しんどいから。 大体の事は自分自身に原因があるわけで、そうでない事は諦めればいいんです。 諦

「ご縁」信者はだいたいポンコツ
「ご縁に感謝」 「出会いに感謝」 よくSNSで目にしますよね。 実際、ご縁というのはあります。 人と人なんて「縁」で繋がっていくものですから。 モンテキーヨだって、多くの人のご縁の繋がりで今があり、そして未来を創っていきます。 ここでいう「ご縁信者」ってのは 出会ってすぐに「ご縁に感謝」って言っちゃったり、SNSでタグ付けして発信しちゃう人の事を指します。 今回はそんな「ご縁に感謝教」とその「信者」が何故ダメか。について解説してみたいと思います。 a,出会った瞬間、それはまだ「ご縁」ではない。 人と人とが出会い、そして知人から友人、更にパートナーに成長していく。 出会ってから、お互いを深く知るには結構な工数がかかるものです。 ビジネスであれ、プライベートであれお互いの関係性が⑥の段階まで来る。 この段階まで関係性が進むと、もう「感謝」なんてものは自然に発生しているわけで。 むしろここで相手の存在に「感謝」を感じる事のできない人間はここまで双方の関係性は深くならない。 相手と何かを「クリエイト」した時。 そしてその喜びが共有出来た時。 自然と相手に